豊国神社 参拝

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3月16日に京都散策で新日吉神宮へ行ってきました。

豊国神社とは
豊臣秀吉亡き後に設立された神社。
祭神はもちろん豊臣秀吉。
しかし、その後豊臣家が滅亡した後は、秀吉を神として崇めるのは徳川家としては許されないわけです。
徳川家は豊国神社を潰すつもりだったようですが、北政所(秀吉の妻、ねね)の願いにより破壊は執り行われませんでした。
しかし、修理は禁止され朽ち果てるまで放置されることとなりました。
それから明治になり、明治天皇により秀吉の功績が見直され豊国神社が再興することとなります。

ちなみに、大阪城公園の敷地内にも読みの違う豊国(ほうこく)神社があります。

豊臣秀吉とは
出自が不明なものの、下級階層の出身から天下人まで上り詰めたと言われる人。
織田家に仕え、本能寺の変の後に明智光秀を打ち取り、柴田勝家など他の武将を蹴散らして、信長もなし得なかった天下統一にまで至ります。
ただ、上月城落城の際に場内にいた女性を磔・子供を串刺しにしたり、秀吉の姉妹と思しき人物を都に呼び寄せて斬首したり、秀次切腹事件で秀次の身内を惨殺したり、北政所という正妻がいるにもかかわらず女好きで300人もの女性を囲いまくってたり、柴田勝家を殺したくせにその義理の娘の茶々を嫁にしたり、無謀なのにもかかわらず部下の武将を朝鮮に出兵したり、欲望丸出しで人間的にはどうなの?というエピソードが山のように出てきたりします。
いや、欲望があったからこそ天下統一ができたのかもしれないですが……

豊国神社は、京阪七条駅から歩いて数分のところにあります。

京都国立博物館の横の道を通っていくと鳥居があります。

鳥居をくぐったすぐそばに手水舎があります。

手水舎の水の出る口ですが、ひょうたんの形状になっています。

参道をすすむと、秀吉公の像があります。

後ろには桜の木があります。

蜂須賀桜というらしく、ソメイヨシノに比べると早咲きの桜です。

3月半ばで綺麗に咲いていました。

すぐ近くには唐門があり、その奥に本殿があります。

唐門はかなりおおきく威圧感たっぷりです。

本殿前までは行けず、この唐門で参拝をすることに。

唐門横には青い龍の置物が。

京都美術工芸大学の作品のようです。

なかなかよくできてますね。

豊国神社のすぐ横には方広寺があります。

この方広寺には、豊臣家が滅亡する原因とも言われる鐘銘が残されています。

歴史が好きなので、この事件の鐘のことは知っていましたが、まさかここまででかいとは思いませんでした(;´∀`)。

上の写真のように、「君臣豊楽」と「国家安康」のところは白く塗装されています。

たったこれだけのことで、豊臣一族が滅亡するというのもなんというか複雑なものです。

この鐘を見るためには階段を少し登るのですが、階段の段差がきついので要注意です。


御朱印は直書きでいただけます。

超達筆でこれだけで芸術性を感じますね。

印には、豊臣家の桐紋と瓢箪が押されます。


豊国神社ですが、結構敷地も広くのんびり見て回れます。

方広寺とセットで見て回れるのはよかったかも。

今回は見ませんでしたが、豊臣家ゆかりの品が収められている宝物館もあるようです。(要入場料)

残念ながら空腹がひどかったので見ませんでしたが、次は是非見てみたい。


神社へのお供に御朱印帳でもいかがでしょうか。

ねこの御朱印帳がオススメです。

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この記事を書いた人

元専門学校教員・非常勤講師。
非正規から脱し、別業種の正職員にランクアップ。
しかしながら、いろいろ最底辺。
地べたを這いつくばりながらがんばってます。

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